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「選ばれしモノ」

渡耒宏明

 そこは薄暗いが、綺麗に整理整頓されている部屋だった。
 窓からは僕が通っている予備校の建物全体を見ることができた。
 さっき見せてくれたファイルといい、まるでこのおっさんはずっと予備校を見張っているみたいだな、と僕は思った。
 六畳ほどの大きさの部屋に、大きなステレオ・セットと、それを取り囲むようにしてレコードのたくさん入った段ボール箱が置いてある。
 たぶんレコードは五千枚くらいあるのだろう。
 その横には本棚が二つあり、僕がざっと見渡した限りでは『朝岡美嶺写真集』、『隠喩としての建築』、『科学朝日』、
 『禅ヒッピー』、『倒錯の森』、『どろろ』、『ニュータイプ七月号』、『ピカソ画集』といった本が並べられていた。
 本棚の上には箱に収められたままのプラモデルが──『旧型ザク』、『ゾック』、『ビグザム』といった
 『ガンダム』関連のプラモデルばかりが──たくさん積んであった。
 よく見てみると、本やプラモデルは「あいうえお」順に並べられているのがわかった。
 本棚の隣には二十四インチのテレビとベータのビデオ・デッキが、
 そしてその隣にはNECのパーソナル・コンピュータが置いてあった。
「いったい、どこに寝るんですか?」と僕は純粋な疑問からおっさんに尋ねた。
「適当にあいてるその辺に寝るんだ」とおっさんは言った。
 その言い方はまるで法律で決められたことでもあるかのようだった。
 僕がレコードの入った段ボール箱に手を伸ばそうとすると、おっさんは大きな声で駄目だ、と言った。
 僕は何か間違ったことをしたのではないかと思って手を引っ込め、黙っていることにした。
「かけるレコードは俺が選ぶものとする。」
 おっさんはそう言うと、レコード・プレーヤーのスウィッチを入れて、ビートルズをかけた。──『ラバー・ソウル』。
「ちょっと待ってろ今コーヒー入れてくるから」と言うと、彼は湯を沸かしに台所に消えた。
 やかんに水を入れる音とガス台に着火する音とが聞こえる。それからコーヒー豆を挽く音も聞こえた。
 僕は窓の外を見ながらビートルズの歌に口を合わせる。
「これはあまり知られていないけれど」とおっさんは豆を挽きながら言った。
「『ノルウェイの森』を境としてジョン・レノンの書く詩の世界は混沌としてくるんだつまりそれまでの歌詞は聴くヤツが馬鹿でも
 理解できたんだがこの曲からは聴く者の想像力に訴えかけてくるような歌詞を書くようになったんだな」
「へえ、そうなんですか」
「それからこの曲でジョージは覚えたてのシタールを弾いているんだがこれは当時のヒッピー文化の表われなんだヒッピーは
 インドとか瞑想とかそういった未知なるものに魂の救済を見い出したんだハレクリシュナと唱えつつね」
「へえ、そうなんですか」
「ほら」とおっさんは言って、彼の歯と同じくらい綺麗なコーヒーカップを三つ持って現われた。
 それはとても香りのよいコーヒーだった。僕は一口飲んでみた。
 それはその辺の喫茶店で出されるものなんかよりも、遥かにおいしいものだった。彼は喫茶店の時と同じように二つとも口にはしなかった。
「やっぱジョンはいいよな知ってた? 『ひとりぼっちのあいつ』のイントロのコーラスは全部ジョン一人でやっているんだまあもっとも
 最後のパートにはポールが加わっているのだがなそうそうポールといえばこのアルバムにおいてベース・プレイヤーとしてもソング・ライターとしても
 才能が完全に開花したといえるね『ユー・ウォント・シー・ミー』、『ミッシェル』、『君は何処へ』……名曲ぞろいだ」とおっさんは言った。
「とてもうまいですよ、コーヒー」と僕は言った。
 おっさんはコンピュータを起動させた。画面には僕が今日見た『ユダ帳』の他にも、『カイン帳』、『ノア帳』などといったフォルダーがあった。
「今このコンピュータでファイルの入れ替え作業とバージョン・アップを行っているところなんだいわばマルチメディア化なんだなほらこれを見てみろ
 さっきのヤツの部屋の間取りをCG化したもので立体的に部屋の様子を知ることができるんだそれから個人の情報もおめえに見せたファイルよりも
 さらに細かくなっている例えばこいつは小学三年生の時に一回だけ運動能力賞を取っているし、中学一年の時にはシンナー遊びで警察に補導されている」
「他の人のは? もっと見せてくださいよ。例えばこの人なんてどうです?」僕が指差したのは「相馬忠夫 そうま‐ただお」という人だった。
 おっさんがマウスでクリックすると、画面の左上に彼のカラー写真が映し出された。
 その人は僕よりもひとつ年下なのに、髪の毛が薄かった。右側のプロフィールに目を向けると──趣味は毛玉取り。
 癖はしゃべる時に一本づつ髪の毛をむしること。全般的な特徴は頑固で自己主張が強く、融通がきかない(特に金銭面において)。
 また、粘り強く几帳面で、注意力が持続する(特に金銭面において)。爆発性。激怒する。騒ぎを喜ぶ。闘争的(特に金銭面において)
 ──こんなふうに書いてあった。
「こいつの将来は総会屋に決まってるな」おっさんは冗談半分にそう言った。
 僕は全然笑えなかった。
「人間には大きく分けて二つのタイプがある──俺の好きな人間と嫌いな人間だ──俺が救う人間のファイルを
 『ノア帳』の中に入れてあるんだもちろんおめえの名前もな」
 救うってどういうことだ? 僕はわけがわからないままコーヒー・カップを手にした。
 先程おいしいと感じたコーヒーの味はせず、胃の中に流れていったのは、ただの黒い熱い液体だった。僕の胃は鉛のように重い。
「『もっと面白いもの』っていうのは、これか──」と僕がやっとの思いでつぶやくと、おっさんはニヤニヤ笑い出した。
「違う違うちょっと待ってろ今持ってきてやるから」彼はそう言って、再び台所の方に消えた。
 おっさんが持ってきたのは大きな段ボール箱だった。
 僕はまた何か別のレコードを持ってきて話でもするのだろうと思っていたのだけれど、
 それにしてはとても重そうだったし、金属的な音がその箱から洩れたので、ある種の好奇心が僕の内側でうずいた。
 彼はまるで三葉虫の化石を掘り出すかのように、とても慎重に段ボール箱を開けた。
 その中には、スミス・アンド・ウェッソンを始めとする数多くの拳銃がつまっていた。
「これはもちろんモデルガンですよね」と僕は言った。
 でも、それらは真に迫っていたので、本物だと言われれば本物であるように見えるものだった──本物みたいなモデルガン。
「当り前だろう」とおっさんは言った。
「でもな一つだけ本物があるんだそれをおめえにやろうと思ってな探してみな。な、『もっと面白いもの』だろ?」
 本物のガンか、と僕は相変わらず味のしなくなったコーヒーを飲みながら思った。
 それを手に入れるのも悪くないな。本物の拳銃を手に入れて何をしようか?
 銀行強盗じゃありきたりだし、ロシアン・ルーレットをするほど僕は馬鹿じゃない。
 山小屋にこもって森に向かって一発づつ打って暮らすなんていうのはどうかなあ?
 誰にも迷惑は掛けないし、大きな音が鳴ってすっきりするだろうし、
 ファーブルによれば蝉は耳が聞こえないっていうし、まあ動物たちには勘弁してもらおう。
 おっさんはレコードを裏返した。レコードでは今度は『消えた恋』をリンゴ・スターが間延びした声で歌っている。
 リンゴ・スターはどうしていつもB面の一曲目でカントリー・ウェスタンを歌うのかなあ。
 僕はそんなことをぼんやりと考えながら箱の中を探した。ガチャリ、ガチャリ。
「これ、ためしに撃っちゃ駄目なんですか?」と僕は訊ねた。
 おっさんは一言、駄目だ、と言うと深く息を吸い込んで次のように続けた。
「おめえは予備校にうんざりしているみたいだなこの間も言ったけど予備校にはいろんなヤツが来るすべての人間がおめえの気に入るわけではないんだ
 俺が計画しているのはおめえみたいなヤツを予備校で見つけ出して予備校の脱領域化を目指すことなんだまさしくこのことは予備校的自我のマクロス内においての
 内核と外郭とへの二重化の表象なんだなつまり予備校的自我の総体という能知的所知=所知的能知の収縮にともなって生理・物理的な主体( sujet )が
 ことごとく内省的・発生論的な経緯をア・プリオリに止揚するということなんだ実はそのためにおれは何年も予備校に潜入し見張ってきたんだ結果的に、
 形而上におけるイデ的予備校の実現をわれわれは遂行できるんだ──いいか? おめえは選ばれしモノなんだぞ」
 おっさんの「選ばれしモノ」という言葉は僕の自尊心をくすぐった。それも悪くない気がする。僕は本物っぽいガンを探し当てると、ためしにこう答えた。
「なるほど──つまりこういうことですね。それを実現可能にするためには僕がこの銃をぶっぱなせばいいんだ」
 僕は手の中でガンを転がす。それは冷たくて、ズシリと重たい。
「そうなんだ分かっているじゃないか実はな予備校に爆薬を仕掛けたんだもうあの予備校での人間観察は完了してファイルの中身も揃ってるからもうあそこは
 用済みってことなんだ次の場所は代々木に決まっているから心配するなおめえずっと元気がないからなこれからあの予備校を爆破するからそれを見て元気だしてくれ」
 僕はその言葉を半信半疑で聞いていた。
「僕に元気を出させるためだ」とおっさんは言ったけれど、結局は、自分が楽しみたいだけじゃないのか?
 レコードでは今度はジョージ・ハリスンが『恋をするなら』を歌っていた。ポールはどこにいるのだろう? ポール? ポール? 僕はコーヒーを一口飲んだ。




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